2016年5月4日

猫の日本史:猫はどうして”かき抱かれ”たのか


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前回は源氏物語「若菜下」に記された猫に関する記述と『寛平御記』との、関連の可能性に触れました。同様の関連が他の箇所にも見られるかどうか、「若菜上」の猫記述および前回の記事で漏れていた、「若菜下」にあった猫記述を見ていきます。

【若菜上】猫記述部分の抜粋

御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人げ近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひつづきて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人々おびえ騒ぎてそよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしがましき心地す。猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長くつきたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこじろふほどに、御簾のそばいとあらはに引き上げられたるをとみに引きなほす人もなし。

<中略>

鞠に身をなぐる若公達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人々、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたくなけば、見返りたまへる面もちもてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やとふと見えたり。
大将、いとかたはらいたけれど、這ひ寄らんもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させてうちしはぶきたまへるにぞ、やをら引き入りたまふ。さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば心にもあらずうち嘆かる。

<中略>

わりなき心地の慰めに、猫を抱き寄せてかき抱きたれば、いとかうばしくてらうたげにうちなくもなつかしく思ひよそへらるるぞ、すきずきしきや。

【現代語訳】
いくつもの御几帳(みきちよう)をしまりなく部屋の隅に片寄せてあって、すぐ間近に控えている人の気配が奥ゆかしさもなく世なれた感じであるが、そこへ、唐猫のほんとに小さくかわいらしいのを少し大きな猫が追いかけてきて、いきなり御簾の端から走り出るので、女房たちがびっくりして、ざわざわと身じろぎして動きまわる気配や、衣ずれの音が耳やかましい有様である。猫はまだよく人になついていないのだろうか、綱がとても長くつけてあったのを、物にひっかけたのに巻きついてしまったので、逃げようとして引っぱっているうちに、御簾の端が、内部(なか)のまる見えになるくらいに引き開けられたのを、気づいてすぐに直そうとする人もいない。

<中略>

蹴鞠(けまり)に熱中する若君達(わかきんだち)の、花の散るのを惜しんでなどいられぬ有様を見ようとして、女房たちは、こちらからまる見えになっているのもすぐには気がつかないのであろう。猫がひどく鳴くので、振り返られた面持(おももち)や身のこなしなどが、まことにおおどかで、若くかわいらしい人よ、と直感されるのである。

大将は、まったくはた目にもはらはらするけれども、御簾(みす)を直しにそっと近づくのも、かえってひどく軽率なことなので、ただ気づかせようと咳払いをなさると、その人は静かに奥へお入りになる。じつは大将ご自身の心にも、まことに心残りでいらっしゃるけれども、猫の綱を解いてしまったので、思わずついため息をもらさずにはいられない。

<中略>

衛門督はやるせない心の慰めに、猫を招き寄せて抱きしめるが、移り香もまことに芳(かんば)しく、かわいらしい声で鳴くにつけても、これが慕わしいお方に思いなぞらえずにはいられないとは、なんとも好きがましいことではある。

(『若菜 上(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 140〜143ページ)

【若菜下】猫記述部分の抜粋

衛門督を、さも気色ばまばと思すべかめれど、猫には思ひおとしたてまつるにや、かけても思ひよらぬぞ口惜しかりける。

【現代語訳】
衛門督(えもんのかみ)を、もしそうした意向があるのだったら、と期待していらっしゃるようだが、猫以下にお見下げ申しておられるのか、まるで心にとめていないのは、不本意なことであった。

(『若菜 下(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 160ページ)

 

ただいささかまどろむともなき夢に、この手馴らしし猫のいとらうたげにうちなきて来たるを

<中略>

かのおぼえなかりし、御簾のつまを猫の綱ひきたしり夕のことも、聞こえ出でたり。

【現代語訳】
衛門督(えもんのかみ)は、ほんの少しの間、うとうとしたともいえぬほどの夢の中に、あの手なずけていた猫がいかにもかわいい姿をして鳴きながら近寄ってきたのを

<中略>

あの、宮にしてみればお気づきでなかった、御簾(みす)の端を猫が綱で引き開けた夕べのことをも、申しあげたのである。

(『若菜 下(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 226ページ)

見つる夢のさだかにあはむことも難きをさへ思ふに、かの猫のありしさま、いと恋しく思ひ出でらる。

【現代語訳】
先刻見た夢が正夢となるのかどうか、それもむずかしい、とそこまで考えると、あの夢の中の猫の姿を、まことに恋しく思い出さないではいられない。

(『若菜 下(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 229ページ)

 

今回引用した部分のなかから、猫と人との行動に関するところをざっくりと抜き出すと、以下の様な、猫と当時の人との関わりが見られます。

  • 小さな唐猫を追いかけて、大きな猫が御簾の端から走り出る。
  • 人に懐いていないのか、長い縄をつけられていた。
  • 縄がものに絡みついて逃げようとする子猫の鳴き声に周囲の人は注目
  • 縄を解かれた猫を、衛門督は抱きしめる

御簾のなかで猫が飼われていたことや、人に懐いた猫がいたことが察せられますが、このなかでもっとも気になったのが、衛門督(柏木)が、女三の宮を思うやるせない心の慰みに、宮のもとにいた猫を招き寄せて抱くシーン。抱きながら、猫に移った女三の宮の残り香を感じるわけですから、猫に顔を近づけたと察せられます。

この、猫と人間との距離がもっとも近くなっている描写では、猫を「かき抱いた」とありましたので、「かき抱く」という語を使うシーンには、他にどのようなものがあるか、どんな主体がどんな対象を「かき抱く」のかが気になりまして、調べました。『源氏物語』が成立した平安時代を中心に、『萬葉集』(奈良時代)から『十訓抄』(鎌倉時代)までの作品のなかでの「かき抱く」の用例を一覧表にしたのがこちら
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青い文字が男性、赤い文字が女性で、黒文字は性別不明または人間以外です。このなかで人間以外を「かき抱く」用例は、『うつほ物語』の「ありし君(小君)」が琵琶をかき抱いた場面と、『源氏物語』で柏木が猫をかき抱いた場面、『今昔物語集』で船頭が十振りもの大刀をかき抱いて貞重に返した場面の3例です。

このうち、琵琶での用例については「かき抱く」の「かく(掻く)」自体に「楽器を奏でる」という意味がありますので「琵琶を抱いて演奏した」と解釈できます。

琵琶の用例を除くと、上代から平安中期での用例での「かき抱く」主体と対象とには「男性が女性を『かき抱く』」または「大人が乳児・幼児を『かき抱く』」例がほとんどで、それらは「愛情をこめて抱きしめる」意味合いで使われていることがわかります。時代が少し下り『今昔物語集』ごろになると船頭が大刀十振りを抱え持ったり、盗人の足に抱きついて引き倒したり、猿が人間の赤子を抱いて奪い去ったりといった場面でも用いられており、単に「抱きかかえる」という意味でも使われるようになったと思われます。

『源氏物語』で猫が柏木に「かき抱かれた」のは、まだ「男性が女性を、大人が子供を、愛情をこめて抱きしめる」用例が大勢を占めていたころ。柏木は女三の宮を思い、その姿を猫に託しながらデレデレしているわけで、猫をかき抱いているといいつつも、男性が女性をかき抱く用例、とも考えることもできます。

そして、柏木のひたむきな思いを示す文学的修辞でもあると同時に、まるで男性が愛する女性を抱きしめるように、はたまたかわいい子供を大人が抱きしめるように、猫が愛されている様子を描いたものともいえるのではないかと思われます。そう考えると、思い出されるのは、あの『寛平御記』での猫の愛されっぷりです。

『寛平御記』には、「かき抱く」記述こそないものの、我が子の姿をまじまじと観察したかのような描写や、毎朝粥を与えていることが記されていました。まるで人を愛するかのように猫を愛でる姿は、柏木が猫を抱きしめる姿と重なるようにも思われます。

なぜ猫が、かき抱かれたのか。その答えは「人と同じように愛された猫と、そのように愛した人が、源氏物語の時代にも存在していた」からかもしれません。

[Photo by minxlj

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