猫の日本史:「猫」の初出史料は何か

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ネコンテンツ大国のルーツを、ちまちまと探ります。

統計や検証による裏付けがなされているわけではありませんが、「日本人は猫好き」といった言説はよく耳にするところです。個人的な観測範囲では、猫ジャーナルの1セッションあたりのPV数などを見ると、一般的なサイト等と比べて妙に高い数値でして、「日本の猫好きが『猫を好き』な度合いは、やたら強い」点には首肯できるように思います。まあ、自身もその中の一人ではありますが。

猫を愛でる文化が日本にはあるならば、「じゃあ、それはいつごろから続いているのか」という点が気になりまして、初歩的ではありますが、史料上の初出を調べてみました。

日本史における猫の話を探ると、辞書にて史料として挙げられるのは、日本最古の説話集『日本霊異記』の記述です。ちなみに正式名称は『日本国現報善悪霊異記』で、「日本勧業角丸証券」とか「帝都高速度交通営団」に通じるインク密度の高さです。恐らく、こちらが「家猫」に関する、日本の史料における最古の記述と思われます。

「我(われ)、正月一日に狸(ねこ)に成りて汝(なむぢ)が家に入りし時、供養(くやう)せし宍(しし)、種(くさぐさ)の物に飽(あ)く。是(ここ)を以(も)て三年の粮(かりて)を継(つ)げり。」(霊異記、上三十)−平凡社『字訓』より

「我、正月一日−−[狸 禰古]になりて汝が家に入りし時」<霊異記・上・三十・訓釈>−小学館『古語大辞典』より

「我、正月一日狸[祢古]に成りて汝が家に入りし時」<国会図書館本霊異記訓釈 上・三十>−角川学芸出版『古典基礎語辞典』より

*霊異記〔810~824〕上・三〇「我、正月一日狸(ネコ)に成りて汝が家に入りし時、供養せし宍(しし)、種(くさぐさ)の物に飽く。〈興福寺本訓釈 狸 禰己〉−小学館『日本国語大辞典』より

慶応義塾大学大学院でアメリカ経済誌と中南米古代文化を研究されていた木村喜久弥氏が、昭和29年に自費出版した『ねこ −その歴史,習性,人間との関係−』(1976年に新装版が、法政大学出版局より出版)の記述によると、上記の「狸/禰古・祢古」の初出部分の概要は下記の通り。

「豊前国宮子郡の膳(かしわで)の臣(おみ)広国(ひろくに)が文武天皇の慶雲二年九月十五日(西紀七〇五年)に死んだ。そして三日にして蘇り、その亡父がネコになって、三年という年月をその息子の家で飼われていたというのであるが、ただそれだけのことで、ネコの由来についてはまったく知る由もないのである」(『ねこ −その歴史,習性,人間との関係−』P70より抜粋)

底本となる『日本霊異記』の古写本のうち興福寺本は、奈良女子大学の「奈良地域関連資料画像データベース」にてネット上で閲覧可能です。こちらのページの中央下あたりに「正月一日成狸入…」と見えます。拡大画像は、こちらのViewer版へ。左メニューの「第三十縁」をクリックすると、該当箇所へジャンプします。

抜粋部分だけ見ると、木村氏の指摘通り、「家に猫がいた、という説話が残っている」くらいのことしかわかりませんが、こちらのレファレンスデータベースを見ると、該当する説話は現代語訳も見つかりそうなので、上巻三十の説話を次回は見ていきたいと思います。

不定期になるとは思いますが、進捗があり次第またお伝えします。

[Photo by Hiro

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