猫本書評:海風を運ぶ長崎ことばが伝える、心にかかえた“尾曲がり猫”の記憶

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『心にいつも猫をかかえて』より

Googleマップをグリグリポチポチやれば、遠く離れた街のことも何となく分かった気になる21世紀。流行病が蔓延するご時世では足を運ぶこともままならず、ついでにYouTubeで車窓から眺める街なんかを見て、関連動画という寄り道に引きこまれて、どこだか分からないところに行き着いてしまいがちです。

しかし昔から、その場所へ足を運ばなくとも街を包む雰囲気や、住み暮らす人々の息づかいや、土地土地の祭りの光彩を伝えてくれるものがあります。その1つは歌ではないでしょうか。

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『心にいつも猫をかかえて』より

例えば長崎に行ったことのない私のような者でも、「長崎小夜曲」や「精霊流し」「長崎BREEZE」といった耳なじんだ長崎の歌を思い出せば、お昼や夕暮れを告げる鐘の音や、低く鈍い路面電車の金属音、アイスの屋台の風鈴に、海風に乗って耳に届く汽笛の音、そして街に息づく人々の息吹を感じるのであります。湾を飛ぶかもめだって優しそうですし、冬の津軽海峡のような凍えそうなかもめはいないわけです。選曲が偏っているのは往年のセイ!ヤングリスナーたればこそであります。

そして長崎と言えば、猫ジャーナル読者諸兄はご存知のとおり尾曲がり猫の街であります。まっさんの歌声が伝えてくれる長崎の街をかもめが俯瞰した光景だとしたら、ローアングルで仰ぎ見る尾曲がり猫視点の長崎の街も気になるのが猫好きというもの。

長崎在住の作家・村山早紀さんの著作『心にいつも猫をかかえて』をひもとくと、尾曲がり猫が見つめた人々と長崎の街が眼前から脳内へと広がります。歌と並び、未踏の地の情景を伝えてくれるもの、それは書物であると改めて気付かされるのであります。

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『心にいつも猫をかかえて』/村山早紀 著/エクスナレッジ

四季の長崎を舞台にした小説と、これまでに4匹の猫と暮らしてきた思い出を綴る随筆が交互に織り成された一冊は、猫と暮らすものならば、泣いてキュンとして泣いて甘酸っぱい思い出をかみしめて、と涙腺を緩ませながら進む読書の旅となります。その涙は猫を愛した深さに比例するといってもいいでしょう。猫を深く深く愛した経験を持ち、猫を亡くしたあの悲しさと後悔の念を深く感じた著者だからこそ、猫と共に暮らす者どものあらゆる感情を受けとめる力のある言葉が紡がれるのでしょう。

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『心にいつも猫をかかえて』より

その涙と悲しみを癒すのが、尾曲がり猫の目から見えた長崎の街の情景であり、猫を愛した人々とのストーリーであります。

小説に描かれた長崎の尾曲がり猫たちは奥ゆかしく物静かです。時と距離を超えて長崎の街で愛する人を待ち続け、人と人とを再会させ、埋もれていた記憶と感情を呼び覚まし、そして再び姿を消すのが常です。しかし、読後に寂しさやもの悲しさは感じません。そこではたと気付くのです。たとえ直接触れずとも見えずとも「心にいつも猫をかかえて」いるのは、ページをめくっている自分もだということに。

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『心にいつも猫をかかえて』より

「夏 長崎から」が終わった今でも、「♪疲れた時には(まだ早いよ)」とセルフツッコミする『夏・長崎から’89』の長崎小夜曲を耳にすれば、市営松山ラグビー・サッカー場の人いきれと興奮が思い起こされるように、長崎ことばで紡がれた物語のページをめくれば、まだ見ぬ尾曲がり猫の短いシッポを思い描くとともに、いま共に暮らす猫、そして今はお空の上の星となった猫の温もりと香りを思い出すのです。それは虹の彼岸に馳せる思いでなく、心にかかえた猫が現在の自分とともに紡ぐ夏の新たな1ページなのであります。

[Photo via『心にいつも猫をかかえて』]

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