2月22日の猫の日にちなみまして、猫の碑のお話であります。
2016年、クラウドファンディングの成立によって秋田県横手市浅舞に建立された「忠義な猫の資料館」。猫ジャーナルでも、クラウドファンディングでの支援募集のニュースをお伝えしました。その後、同年7月にクラウドファンディングは成立し、11月に「忠猫の碑」の移転および「忠義な猫資料館」のオープンへとことが運びました。昨年11月に移転・オープンから1年が経過し、猫ジャーナルとしても一度参拝しておかなければならない、という使命感に駆られまして、昨年横手に赴きました。そこで「忠義な猫」を軸として、町おこしを進めている「『忠義な猫』の会」の皆さまから、猫をテーマにした地域振興への取り組みの実情とこれからの展望について、お話を伺いました。
前身の委員会設立から、クラウドファンディング成立に至る道のり
猫ジャーナルが「忠猫の碑」を知ったのは、前述の、2016年のクラウドファンディング募集時でしたが、「『忠義な猫』の会」の前身となる「『忠義な猫』でまちおこし推進委員会」が設立されたのは、それから5年ほどさかのぼった2011年のこと。設立のきっかけとなったのは、その前年の2010年11月8日に秋田魁新報に投稿された「忠猫の碑 公園と米を守った猫」と題された記事でした。明治28(1895)年5月3日に生まれた子猫は、縁あって同年の8月10日に猫の碑が建立された地で飼われることとなります。その記事では、猫の碑建立の経緯が紹介されていますので、その一部を引用しましょう。
忠猫の碑の由来
忠猫の碑は、庵(浅舞公園内に創設者・伊勢多右衞門の庵があった)で飼育している白まだらの猫が、明治四十年(一九〇七)二月十五日、十三歳で亡くなったを機に建立された。(中略)当時、県社八幡神社境内の修理と、隣接地を公園にするための工事作業が行われていた。だが野鼠と蛇がおびただしく、植え付けた樹木や花などに被害が及んだ。公園に水を注ぐ側溝や堤なども破損した。
人々が困り果てていると、この伊勢家の猫が野鼠や蛇を日々退治し、十年ほどかけて撲滅させた。その間に工事は順調にはかどった。また一方では、米倉の木材をかじり、穴を開けて中に進入し、米をあさる大量の鼠が発生した。当時、米は今以上に、人々の「いのち」とも呼べる大切な食糧であった。米が不足すると人々の生活も成り立たなくなる。するとこれも伊勢家の猫が退治した。米倉の米は、窮民を救うための感恩講の米でもあった。感恩講とは、江戸時代後期以降の秋田における民間救助機関で、蓄えた米を育児や貧民の救済などに当てた。その慈善事業の中心になって活動していたのが伊勢家であった。猫は伊勢家の志を裏方で支えた。
記事の寄稿者は、地元の湯沢市で小学校教諭を務める、郷土史研究家の簗瀬均氏。この記事に目を留めた有志が「忠猫の碑を世に広めなくてはならない」との志の下に集結して設立準備委員会を立ち上げ、平成23年の5月3日に「『忠義な猫』でまちおこし推進委員会」が発足したと、「『忠義な猫』の会」の畠山博会長は経緯を振り返ります。今も地元に在住していた伊勢氏の子孫は、畠山さんも顔見知りの人物だったことから、猫の碑のことを尋ねたところ「それはうちの先祖の猫だ」という話を得て、トントン拍子で来歴が分かったのだといいます。
しかし、それまで「忠猫の碑」の存在は、地元でもほとんど知る人はいませんでした。資料館に隣接する浅舞八幡神社の宮司で、同会副会長の本多和芳さんは、次のように語ってくれました。
「子どものころ、神社の側の公園へは、よく犬の散歩で足を運んでいました。公園の一角の笹がこんもりと生い茂ったところに、猫の姿が浮き彫りになった碑を偶然見かけて、目にはしていたのですが、(碑には)謂われが書いてないため、由緒沿革についてはまったく知らずに過ごしてきました」(本多さん)
会の設立から、地元の新聞、テレビ局、ラジオ局、横手経済新聞などのメディアで「忠義な猫」が徐々に取り上げられるようになり、「忠義な猫」の会の活動も徐々に広がっていきます。主なものとしては、以下のようなものがありました。
- 平鹿町浅舞公園で開催される「浅舞公園あやめまつり」で、忠猫の説話を広めるため三味線、昔語り、歌、踊り、紙芝居などを披露するイベントを実施
- 秋田県立近代博物館で開催された「猫まみれ展」および「猫ライオン展」で忠猫の紹介コーナーを設置
- 「忠義な猫の資料館」で愛猫家が参加する「猫のしあわせ祈願祭」を開催
- 横手市教育委員会が主催した、雄物川郷土資料館での「明治を生きた 先覚者たち」開催期間中に実施された見学ツアーの立ち寄りスポットとして「忠義な猫の資料館」を公開
- 地元の菓子店にて、忠義な猫のロゴマークが入った「招福猫サブレ」を発売
- 忠義な猫のテーマソングCDを販売
そして会の設立当初からの目標であった「通年観光の実現」の一環として、2016年にはクラウドファンディングに挑戦。目標額をクリアして、無事に「忠猫の碑」は元の場所から移転し、現在の「忠義な猫の資料館」の中に安置されることとなったわけです。
クラウドファンディング成立後の課題とは
しかし、スポットができたからといって、すぐに人気が出るわけではない、と畠山さんは語ります。以前から行ってきたように、地道できめ細かなPRを続けていく必要を感じています。課題はそれだけではありません。本多さんは次のように語ります。
「われわれの団体だけでは、大規模な事業展開は難しいのが現状です。これまでの活動から生まれた交流を活用して、イベントへの参加や新たな活動をさせてもらっている状態です。『忠義な猫』の会のメンバーは個人と団体を含めて50人ほどですが、定期的に活動しているのは10人弱です。年間で50回ほど、1週間に一度はそのメンバーで集まって話し合いや準備を行っています。特に一昨年は石碑移転の大事業があったため、付随した活動が大変多い年でした。今(2017年11月ごろ)になって、ようやく細かな取り組みが積み重なって、次の大きなことが考えられるようになったところです」(本多さん)
会の活動は、主要なメンバーのボランティアに支えられています。着実に「忠義な猫」にまつわる活動や事業は発展し、伴って事務作業が増えますが、人が増えるわけではないのが現状です。認知の広がりを感じられたときには、やりがいも感じるものの、本業との両立はとても難しいそうです。資料館のオープン直前には、「睡眠も不足しがちで、仕事を休むことになるため、家族の理解を得ながらなんとかこなした部分もありました」と、本多さんはいいます。
次の目標は「東北猫サミット」
さまざまな制約の中で、活動を続けている「忠義な猫」の会。次なる目標として、大きな構想があるといいます。それが「東北猫サミット」です。
メンバーの調査によれば、忠義な猫のほかにも、猫にまつわる歴史的な由来を持つ土地があります。例えば、山形県東置賜郡高畠町にある「猫の宮」(地図はこちら)は、猫を祀る神社で、毎年7月には「全国ペット供養祭」が開催され、昨年には30回目を迎えました。福島県福島市の信夫山には、通称「信夫山ねこ稲荷」として知られる西坂稲荷神社があり、こちらでは2014年から毎年「ねこの幸せ祈願祭」が開催されています。また、宮城県石巻市には猫ジャーナル読者諸兄にもおなじみの、猫島こと田代島、仙台市では青葉区で開催されている「上杉(かみすぎ)ねこまつり」、若林区の「猫塚古墳まつり」もあります。これらの猫スポットと共同で「東北猫サミット」と題したイベントを企画したいとのこと。
ただ、実現にはやはりハードルが多々あります。目下のところの悩みは、各所の猫スポットで催しを行っている団体(自治体や観光協会)はいるものの、それらを繋ぐ団体や窓口がないこと。共催をするとなると、それぞれの団体とのコネクションを構築し、それをつなぎ合わせるところから始めなければなりません。またほかにも、猫の史跡や観光資源があっても、具体的に活用している団体があるか分からないことも多いのです。そのようなケースでは問い合わせ先を探すところから始めることになります。
そのために重要なのは「熱を起こすこと」だと、畠山さんたちは考えています。
「定期的に開催しているところは話をする手がかりがありますが、小さなお祭りを年に一度しているといったところに、『猫サミット』の話をしようにも、相手方に熱があるかどうかも分かりません。熱を起こしてもらうためには、双方にメリットがある企画がないといけません。横手ではB級グルメとして有名になった『横手やきそば』がありますので、その成功事例に学ぼうとしているところです」(畠山さん)
「同じ県内の、大館市は『忠義な犬』としてハチ公が不動の地位を築いています。『AKITA』が地名ではなく秋田犬のことをさすほどで、海外での知名度も高いのです。そこにあやかって、忠犬ハチ公と、忠義な猫とのコラボができないか、というアイデアも検討中です。また2020年に秋田空港近くで、動物の保護と盲導犬の育成を行う施設ができる予定です。その施設と一緒に取り組みやイベントができないかとも考えています。実現のためには、もっと具体的に話をできるようにしていかなければならないと感じています」(本多さん)
日本各地で、猫に関連するしないに関わらず、地域活性・地域振興の動きは数多あります。続かずについえてしまう取り組みも多い中、忠猫の碑の”再発見”から始まった「忠義な猫」の会の活動は、その前身の発足から7年目を迎え、新たな局面を迎えています。イベントの企画のほか、忠猫のロゴマーク入りの特産りんごや、米を鼠害から守った忠猫にちなんで、地元産のお米のパッケージに用いて地域ブランドのシンボルにしたいとの計画もあるとのことで、やりたいことがたくさんありながらも、ボランティア頼みで手が回りきっていないという実情。そこに苦しみながら、着実に歩みを進められているように感じました。先に引用した記事にもありましたが、外猫として暮らした猫としては13歳という長寿でしたので、すべての猫飼い主が望む、猫の長生きを祈願する場として、東北地方はもちろんのこと全国にその名が広まりますよう、猫ジャーナルとしては微力ながら応援したいと思っております。
加えて、私事で恐縮ではありますが、専用ケースに採集を続けている猫のヒゲが、かなりの本数になってきまして、捨てるに忍びない御物のため、しかるべきところに奉納したり、しかるべき祈祷を済ませたヒゲを、ご長寿を祈る猫お守りにしていただいたりするところがないものか、と思っておりましたので、ぜひご検討をいただければと、一方的に願う次第であります。
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